2012年までの私

2012年半ばから色々有り過ぎたね…

突然うつに成りそうで、突然大人に成れたようで、なんだか自分の中で色々変わった気がする。


でも一つだけ大事の事が、自分の中で本当の意味で分かった…

それは、誰の人生でも、色んな山が有って、色んな谷も有って、そして何もない平原も有る。


人生の山は誰でも登る時は大変で、途中で辞めたくなる気持ちも有る。でも何で黙々と山頂迄登れる人もいる中、山登るとわかって逃げる人もいる、山を登る前から諦める人もいる、山を登ったが、途中でやめる人もいる…そして、山を登る自分を色々想像するだけで、実際に登る時に逃げてしまう人も…
そして、山を登った後は、色んな谷や、何時までもゴールが見えない平原や、色んな景色が待っている。すべては自分の想像と同じ幸せな人生とは限れないが、でもその人の考え方や、志しの違いで人生は変わってくるのは、絶対に違えないと、私は気付いた!!


私はどちらがと言うと、今まで自分の人生の中では、山登った自分を色々想像し、楽しい計画を想像し、でも現実に成った時には何がと理由付で逃げてた方だ…何が有っても人のせいにしたり、自分の人生がうまくいかない時は誰がのせいにしたり、自分の事を見ないで居た、それが自分には都合がいいのだから。、平凡に生き努力する事が出来ない、夢をばっかり見る子供だった様だ。



去年9月4日、最愛の父が急死した。日本を心より愛した父、誰にても優しくで、仕事や人生を真面目に生きてきた父が急に… 
そして、10月に13年ぶりに徳島でファッションショーに出た。(私の学生時代のデザイン科先生の個人ファッションショーに誘って頂いた)



私は父の最期の一目を見れずに救命室で、冷たくなった父を触って、涙が止れなくなった。頭が真っ白で、もしかしてまだ息が戻るじゃないかっと色々妄想してしまって…そのうち父はもう太平間に運ばれていたのにもかかわらず、何が有ったのが、必死に意識を何処かに逃げていた…



その後の日々は、一気にうつのような毎日に成って、何をやっても楽しくない、何をやってもいい事がない、人とも会いたくない、自分の子供さえも…毎日気持が暗い闇の中に居た、昔を振り返ってばっかりしていた。



振り返て見ると、学校に居る時も、大きな抱負は有ったのは良いけど、努力しなかった…少しの挫折で逃げて、逃げて…自分の傍に両親の居ないことや、自分で学費や生活費を何とかしないといけない事や、自分は中国人だから、日本人と解り合えない事や…自分の中で何も変化することもなかった。


でも、最愛でまだまだ若い父は急に亡くなった、最後の一目も会えなかった。人は何時死ぬのは自分で分かるのでしょうが?そんなことも考えて、今の私はこのままでいいのが??


どうして、こんな性格の自分が居るのだろう?どうしたらこの辛い時期を乗り越えられるか?どうしたらこれからの人生を明るく生きで行けるが? 


沢山考えたね…最初はいつもの様に誰かのせいにした、物凄い自己中の母が父をもっと大事にしたら、8月は彼の企画で、富士山登り行かないで北京に帰ってたら、彼がもっと早く父を日本に迎えたら、いっそう子供達なんでほったらかしにして、自分は北京に帰って父の傍に居たら…父は死ななくで済んだではないがと…



でも、今、気付いたよ…こんな風に過ぎた事をいつまでも後悔し、いつまでも振り返ると何が変わるのでしょうが?? 最愛の父は生き返られるのでしょうが?? 今この私のうつの気持ちで家族がもっと大変な事が起きたらどうしょう? そんな事が有ったら私はまだこんな風に後悔して生きでいくのかな?? 


自分で答えを出せないのなら、答を探しに行こうと思った。北京でも日本に帰っても、本屋でいろんな本を読んだ…今でも読んでる、今でも答えを探してる。


でも、自分でも気付いたのは、私は、2012年迄の私よりは変ってゆく。そして何より、大事な子供達も親の私の後姿を見て、何がを気付くから、私は背中を曲げては行けない、後ろを振り返るばっかりては行けないっと強く感じた。


2013年は、もっと努力の意味を理解する。もっと努力をする。もっと自分の弱みと向き合う。もっと人の為に何ができるがを考え、実建してゆく。

きっと自分の考え方の変化で、自分の人生は変わるよ!! きっとそうね!



今年は皆さんにとっても、いい年で有ります様に!!
今まで支えてくれた全ての人に心より感謝を…